今回は番外編です
事件とは、言うまでもなくサウジとイランの断交です。
マスコミはこれをスンニ派とシーア派の対立として描こうとしているようですが、ぼくは別の視点から見ています。
即ち、宗教対立ではなく、政治体制の対立としてです。
以下は、あくまでもイスラム教を理解しようとし始めたばかりのド素人の意見であることは断る必要もないでしょう。
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現在のイスラム国家は3つの体制に分かれています。
1)王制国家(サウジ、ヨルダン・・・)
2)共和制だが実質は独裁国家(シリア、リビア、チュニジア、エジプト・・・)
3)共和制だがイスラム教による国家(イラン)
ぼくら日本人は学校で、民主主義の価値観から、歴史は君主(王制も含む)国家から民主的な共和国に進歩していくと習いました。
そもそもアラブは「部族社会」です。
ムハンマドもクライシュ族のハーシム家に属しています。
要するに「血のつながり」を重視する社会です。
言うまでもなく、王制は血のつながりそのものです。
力の強い者が支配するという分かりやすい制度です。
いっぽう共和制は、民衆の合議に基づいて選出された者が一定の期間治める制度です。
それぞれに利点欠点がありますが、どちらがより進歩した制度かというならば、議論するまでもないでしょう。
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もうお気付きのように、アラブ社会も1)から2)に変化しつつありましたが、突如2)の国家群がアラブの春と称する革命(?)によって次々と倒されてしまいました。
おっとドッコイ、シリアだけが踏みとどまっているのは歴史の皮肉なところ。
革命(?)暴動(?)が起きずに安定(?)しているのが王制を採っている国々です。
その代表がサウジです。
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アラブの春で独裁者たちを倒した(あるいは倒そうとしている)民衆は、どんな国家像を描いているのでしょう?
ぼくが信じたいのは、「本当の共和国」を再構築したいと民衆は望んでいるはずということです。
でも実際は、「イスラム教原理主義国家」を打ち立てたいと望む人々がちょっかいを出してきているのです。
ここのところをきちんとイスラム社会に住んでいる人たちが認識してもらわなくちゃ困る。
要するに国家ビジョンを持たずに革命を起こすことが問題なのです。
それは革命ではなく「暴動」だといわれても仕方ないじゃないですか。
だから王制が良いんだといわれても仕方ないじゃないですか。
これが今回の混乱のキモです。
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さて、3)のイランです。
イランは王制が打倒されイスラム教社会が打ち立てられました。
一応は共和制の顔をしていますが、イスラム法に基づくイスラム国家といって良いでしょう。
過去にはいろいろと問題がありました。
原理主義に突き進むかと思われた時期がありましたが、「○○師」が独裁するようにも見えず、ギリギリ共和国の体裁を保っています。
大統領と宗教指導者の間で奇妙なバランスを取っています。
これが出来るのは彼らがアラブ人ではなく、ペルシャ人であることが理由だとぼくは信じていますが。
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すると、イスラム社会が目指す究極の国家像はイランのような国家体制ではないかということになるのではないでしょうか?
究極の国家像と書いてしまいましたが、「進化系のイスラム国家」じゃないでしょうか。
こうやって見てくると、今回のイランとサウジの対立は、シーア派とスンニ派の宗教対立でないことが見えてきます。
(たぶん当事者たちはちゃんと理解しているはずです。ぼくはこういう彼らの駆け引きが嫌いです。)
逆に、そう見るのは間違いで危険なことであるとぼくは指摘したいのです。
なぜなら、宗教問題にしてしまえば、理解不能だとして解決の糸口を見つけるチャンスを失うからです。
人類の歴史が進歩するものなら、アラブの春から始まり、IS問題、難民問題、断交問題への流れには必ず理由があるのです。
すべてイスラム社会で起きている問題である以上、イスラム社会で解決しなければなりません。
そうしないと、またしても欧米の餌食にされるだけです。
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イスラム教を少し齧っただけですが、「イスラム国家」即ち「イスラム法に基づいて統治される国家」のビジョンが明確でないことが原因だと分かります。
オスマントルコという良い例があったにもかかわらず、歴史的教訓として生かされていません。
総ての問題はイスラム教そのものにあります。
ムハンマドはウンマという理想的な国家像は残しました。
ならばそれを現実のものとして実現するのは、彼の教えを継ぐ人たちの責任であり使命のはずです。
多くの血が流されているいま、原点に返って統一されたイスラム国家像を共有することが、イスラム社会の急務じゃないでしょうか。